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【大河ドラマ】『鎌倉殿の13人』尼将軍!北条政子とは

今回は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する北条政子

演じられるのは、女優の小池栄子さん!

今回は、北条政子にスポットライトをあてていきたいと思います!

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北条政子とは

出生

1157年(保元2年)
父・北条時政長女として誕生。
実名不明
女性の実名を呼ぶのは、この当時は親くらいで、
他者は別の呼び方をするのが礼儀という時代だったそうです。

名前の不思議

北条政子の呼び名は、
夫・頼朝の死から19年後、
1218年(建保6年)
朝廷から御台所に→官位・従三位(のち従二位)を与えられ、
文書に名記の必要があり、
天皇に対し、名乗りとして「政子」と記述する為です。

北条政子の「」は
父・時政からつけられたと考えられています。

ここで疑問に思われた方も多いかもしれませんが、
なぜ結婚したのにさんじゃないのっ!?ってことです。

筆者はめちゃくちゃ気になっておりました。

現代では結婚したらだいたい姓を変えるのが一般的ですが
(筆者はこのことについて疑問ですが)、
当時は違ったのかなぁー?(いいなぁー)と。

で、調べました。

北条家は、そもそも平家の流れなので、
平家一門に知られないようにしたかった、のだそうです。

実際、どう呼ばれていたかは不明で、
将軍の奥さまは「御台様」という呼ばれ方はあったようなのですが、
女性の名前は、基本的は記録に残さないのだそうです。

北条政子レベルの有名な人物でもそうなんですね。
ちなみに、平政子説もあります。

北条」は北条時政の娘なのでOKですよね。

でも、姓は「平」なので「平政子」が本名では?というわけです。

名前一つとっても歴史とはわからないことだらけで、奥深く、面白いですよね〜。

出会い

では、話を戻します。

当時、父・時政は、島流しされた源頼朝見張る仕事を任されていました。

それを機に、政子と頼朝は出合い、のちに恋におちるのです。

しかし、頼朝は「罪人」
周りは猛反対

それでも、二人の愛は決して負けることなく育まれていき

1177年(治承元年)20歳
周囲の反対を押し切り結婚

1180年(治承4年)23歳
頼朝が挙兵。打倒平氏!

政子も鎌倉へ入り「御台所」と呼ばれながら、鎌倉幕府の基盤造りに貢献しました。

1182年(寿永元年)25歳
長男・源頼家出産。(のちの鎌倉幕府二代将軍)

1185年(文治元年)
頼朝鎌倉幕府を開きました。

1192年(建久3年)35歳
夫・頼朝→征夷大将軍に就任。
武士トップの座についたのです!

そして、
次男・源実朝(三代将軍)出産。

その後、二男(頼家&実朝)二女(大姫&乙姫)を授かり、
正室としての地位を高めて行ったのです。

危機

1199年(建久10年)42歳
頼朝急死。
頼朝を弔う為、尼さんになりました。

長男の頼家が第2代将軍に。

政子は愛する頼朝の後を追うことも考えましたが、
息子のことが気になり、思いとどまりましたが、

頼家は就任後暗殺。
その後、
実朝も甥の公暁に鶴岡八幡宮にて暗殺されました。
(1219年(承久元年)北条政子62歳)

源頼朝の直系が絶えまさに鎌倉幕府存続の危機

そこで、政子たちは、
後鳥羽上皇(朝廷の権力者)の息子を将軍に!と、考えましたが、
後鳥羽上皇は、頼朝の血縁が途絶えて
今こそ政治の権力を鎌倉幕府→天皇家へ奪い返すチャンス!と考えていたので、
当然、政子らの案は拒否

仕方がなく、藤原家(京都出身)から
まだ二歳と幼かった藤原頼経を
連れてきて四代将軍にし、
政子は後見人として、
仕事の代わりを勤め、
鎌倉幕府を支えることを決断したのでした。

承久の乱

1221年(承久3年)64歳
「承久の乱」
武士(鎌倉幕府を率いる政子&北条家)
VS
朝廷(政治の権力を天皇家へ取り戻したい後鳥羽上皇)

尼将軍として、
戦いの前、政子は
「頼朝公の恩は山よりも高く、海よりも深い」(←政子の有名な演説)と言い、
鎌倉幕府に味方する武士たちを励まし、
気持ちを奮い立たせ、勝利へと導いたのです。

後鳥羽上皇は隠岐島に配流(島流し)。
武士の力はますます強くなっていくのです。

こうして女性でありながら将軍と同じ仕事をする政子は、
のちに「尼将軍」と呼ばれるようになったのです。

最期

1224年(貞応3年)
北条義時が亡くなったあと、

政子は泰時(義時の子)を執権に立て、時房を補佐役とし、
その後、幕府の動揺を狙った計画も未然に回避。

泰時&時房の新体制の幕府が軌道に乗り出したのを見届け、
政子は病に倒れ、息を引き取りました。
1225年(嘉禄元年)68歳でした。

簡単な年表を見ただけでも、
行動力や人の心を動かせる魅力的な人だったことがわかります。

政子はとてもきれいな女性で頼朝は惹かれたそうなのですが、
美しいだけではない芯の強さのような何か…。

成功する男はよき伴侶を見つけたから
歴史を変えることに繋がったのだと感じます。

素敵だなと思うのですが、
「娘婿を討った一族を処刑」など“悪女”と言われるエピソードも残されています。

たくさんあるので、エピソードは後日ご紹介するとして、

今回は、題して、
〈破壊〉
〜政子の第2子懐妊中の巻〜をピックアップ!

破壊!?

当時、頼朝が通って会っていた女性「亀の前」がいました。

そのことを知った政子は、なんと、
その家を破壊(汗)

やり方がダイナミックいうか…。
筆者は好きですけどね。こういうの(笑)

思い切りがよくて、“悪女”レッテルを貼られてしまいがちな女性だったんでしょうね。

女性とは○○みたいな型にはまらないところなんかが、政子の魅力でもあります。

しかし、頼朝さん妻の妊娠中に不倫?はダメっしょ!
いえいえ、当時は一夫多妻なんで、ノープロブレムなんです。

でも、政子の嫉妬深さを知っていた頼朝は
ちゃんとこっそりひっそり会って寵愛していたんです。

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