その代わりに、鴉(カラス)がどこからかたくさん集まってきました。
昼間見ると、鴉が何羽も輪を描きながら、
高い鴟尾(シビ)の周りを飛び回って啼いています。
特に門の上の空が夕焼けで赤くなると、
その様子がはっきりと見えました。
鴉はもちろん、門の上にいる死人の肉をついばむためにやって来るのです。
ただし、今日は時間が遅いせいか、一羽も見えません。
ただ、崩れかかった石段の上には、
長い草が生えた崩れ目に点々と白い鴉の糞がついているのが見えます。
下人は七段ある石段の一番上に座り、
洗いざらした紺の襖に座りながら、
右の頬にできた大きな面皰(ニキビ)に気を取られつつ、
ぼんやりと雨の降るのを眺めていました。
さっき作者は、「下人が雨やみを待っていた」と書きましたが、
実際には雨がやんでも下人に特別な行き先はありません。
普通なら、もちろん主人の家に帰るべきでしょう。
しかし、その主人からは数日前に暇を出されてしまいました。
先にも書いた通り、当時の京都は衰微していました。
今、この下人が長く仕えていた主人から暇を出されたのも、
実はその衰退の小さな余波にすぎません。
だから、「下人が雨やみを待っていた」というより、
「雨に降られた下人が、行く場所がなくて途方にくれていた」という方が適切でしょう。
その上、今日の空模様も少なからずこの平安朝の下人の感傷に影響を与えました。
降り出した雨はまだ上がる気配がありません。
そのため、下人は何を置いても差し当たり明日の生活をどうにかしようとして、
どうしようもない問題に頭を悩ませながら、
さっきから朱雀大路に降る雨の音を、ただただ聞こうとしていたのです。
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