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【大河ドラマ】『鎌倉殿の13人』北条義時の初恋の人・八重姫とは

【大河ドラマ】 『鎌倉殿の13人』 北条義時の初恋の人 八重姫とは

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にガッキーこと新垣結衣さんが出演されます!

新垣結衣さんが演じるのは、八重姫です。

ドラマでは、伊東祐親の娘で、主人公・北条義時の初恋の人
そして源頼朝の最初の妻
として描かれるようです。

八重姫は、平家を恐れている父・伊東祐親と愛する源頼朝の間で苦悩する、といった役どころ。

八重姫と頼朝の悲恋はわりと知られますが、

実は、八重姫のことがわかる資料は「軍記物語」で、
信憑性のある史料には書かれていないので、
実在する人物かどうかも実はあまりはっきりとはわかっていません

ドラマではおそらく重要な人物の一人となるのではないかと思われます。

「鎌倉殿の13人」では、美しさと強さを兼ねた女性を演じているので、
いつもの(今までの恋愛ドラマ)新垣結衣さんとは
少々印象がちがうのですが、それでも映るたびに、まぁ~かわいいこと、かわいいこと。
見とれてしまいます。

八重姫は美女ということですが、実際はどのような人物だったのでしょうか。
気になりますねぇ~。

では、「軍記物語」「曾我物語」を参考に生い立ちなど見ていきたいと思います。

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八重姫とは

誕生

生没年不明ですが、

八重姫は平安時代末期を生きた女性です。

伊東庄の豪族・伊東祐親の三女として誕生しました。
祐親には4人の娘がいたようですが、八重姫はその中でも美人と評判だったようです。

頼朝との出会い

1160年(平治2年)「平治の乱」
源義朝が敗れて殺されます。
当時14歳だった頼朝は伊豆に流され、

伊東祐親(八重姫の父)に平清盛が監視役をを命令したことが
きっかけで八重姫と頼朝は出会ったと思われます。

やがて、父・伊東祐親が、大番役(警備)で京に上洛中、八重姫は源頼朝と通じるのです。

「大番役」→平安時代後期~鎌倉時代
御所、都の市中の警護役を地方の武士が担っていました。
ちなみに当時の大番役の任期は3年だったそうです。

頼朝はひそかに八重姫を愛しており、八重姫に会うため、暗くなってから密会していた模様です。

出産

一緒に過ごすうちに

二人は子どもを授かり、生まれた男子は千鶴御前(千鶴丸)と名付けられました。

頼朝は子どもの誕生を大変喜んだそうです。

「この子が元服したら坂東八か国を回り運試しをしたい」
と寵愛していたそうです。

1175年(承安5年)
自分の留守中にそんなことになっているなんて思いもせず大番役の任期を終え、京から戻った
父・伊東祐親は、

見たことのない子がいることに気がつき、奥様に「誰か?」と尋ねたといいます。
八重姫の子だと知ると、
「いかに。親の知らぬ婿やあるべき。いかなる人ぞ。不思議さよ」

「親の知らない婿があるだろうか。何者だ!けしからん!」と怒り、

相手が頼朝だと知り、
大激怒。

平清盛に知られれば、伊東家滅亡の危機に…、と恐れるのでした。

祐親は八重姫をとても大切にしていたので、親としてはショックどころではありませんよね。

悲劇

祐親は、八重姫を一室に閉じこめ、
まだ3歳だった千鶴丸(千鶴御前)を連れ出し、
重い石を巻きつけ、伊東の松川の上流にある「稚児ヶ淵」に、沈められたと伝わります。

そして、八重姫は、源頼朝と通じないように、
伊豆の住人・江間小四郎 or 江間次郎のところに嫁がせられた、
という話があります。

江間小四郎(江間四郎)=北条義時(北条四郎義時)
ともされていますが、
江間四郎(江間小四郎)=北条義時
は考えにくいところもあります。

「吾妻鏡」では、
●北条義時→・江間
      ・北条小四郎
      ・江間四郎
      ・江間殿
      ・江間小四郎
      ・江間四郎殿
      ・江間小四郎殿
            などと
記載されています。

実際、北条義時の墓に
「北條相模守従四位下 江間小次郎平義時」
と、刻まれていますが、

が、北条義時の妻として、八重姫の名はでてきません

当時、江間四郎(江間小四郎)は、北条荘から1kmのところにある江間荘を領していたとされるので、
北条義時(北条四郎義時)であると考えられますが、八重姫の嫁ぎ先であるとは確証が得られません

八重姫の人生が本当なら悲しすぎますよね。

悲恋

で、話は戻ります。
さらに1175年(承安5年)9月頃、

「将来敵になるに違いない!殺さなければ!」と、夜襲をかける暗殺計画を立てましたが、

次男・伊東祐清(妻は比企尼の三女)が、
頼朝を気の毒に思い、父の計画を知らせ、頼朝は、
走湯後権現(伊豆山神社)→北条時政の屋敷に逃げ込み、難を逃れ無事でした。

この時、祐清の烏帽子親・北条時政に託し、頼朝と北条政子は出会うのです。

烏帽子親(えぼしおや)
元服の儀式の時に、特定の人に依頼し頭に烏帽子をかぶせる役を務めてもらうのが通例。

帽子を被せる人→烏帽子親
当人→烏帽子子
といいます。

八重姫も無事でした。(「吾妻鏡」より)

ちなみに、伊東祐親の娘は、
北条時政の正室なので、時政の義父であたります。

つまり、
義時の祖父という関係です。

のちに、源頼朝が挙兵したときも、
伊東祐親は、平家側につき敵対。

「富士川の戦い」前に捕虜となりました。
三浦義澄の助命嘆願にて許されたのですが、
「以前の行いを恥じる」と、自刃。

伊東祐清は一緒に捕らえられていましたが、
源頼朝は以前、自分を助けてくれた恩から許しています

しかし、「父が自刃した以上、自分が恩賞を受ける事は出来ない」と、
平家側で最後まで戦い命を落としています。

八重姫頼朝と引き裂かれたあと、

頼朝をずっと愛していて、伊東の館をでて
北条の館に行ったら、政子と愛しあっていて、
ショックで眞珠院正面の真珠ケ淵の激流に投身し命を絶った、
というようなたくさんの言い伝えがあります。

ちなみに、
政子は八重姫より美しく、頼朝は、その美しさに惚れたそうです。

八重姫はずっと頼朝を愛していたのに、

美人を見つけたからってすぐそっちにいくー!?
っていっぱいツッコみたくなりますが…。

はぁー…。
 
事実はわかりませんが、恋というのは今も昔も切ないなぁー、と思います。

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